倉吉の歴史講談

■日時

毎日 10:00~15:30開催
  お気軽にお越しくださいませ。
   

■木戸銭

五百円也

【講釈師】倉吉談語の会 代表 脇坂 幸司


~倉吉談語の会の紹介~

 2005年より活動開始
  歴史ある鳥取県倉吉市の地域文化資源を発掘し、
  物語を創作して発表している。
  日本の伝統話芸である”講談”の手法を用いて、
  張り扇の調子と臨場感ある語り口調で聴衆を魅了している。

【講談】倉吉談語の会


~泰平の世の侍をも遥かに凌ぐ、もうひとりの淀屋・牧田仁右衛門~

『淀屋の光と影』

 大都会大阪の中心に架かる「淀屋橋」の名前の元となった天下の豪商「淀屋辰五郎」は五代目のときに、闕所・大坂処払いの極刑を受けて没落。しかしながら、先代の番頭であった「牧田仁右衛門」の徹底した陰働きによって、「淀屋」は再興したのですが、実はこの「牧田仁右衛門」が、倉吉の出身で稲扱き千刃の発展普及に深く関与し、倉吉と大坂の橋渡しをし、倉吉の産業発展の礎となった「淀屋清兵衛」の元祖だったのです。

【講談】倉吉談語の会


~重陽の儀は転落への幕開けだった~

『たまゆらの人生、里見安房守忠義』

 御存知、滝沢馬琴「南総里見八犬伝」のモデルと伝われている、房総里見十代里見安房守忠義の無念の想い、真実の里見の歴史を語る新作歴史講談。 江戸時代の初め頃、幕府の陰謀によって国替となった里見忠義主従は、ここ倉吉の地で終焉、東町にある古刹「大岳院」に静かに眠っている。事実は小説よりも恐ろしい、里見安房守忠義の生涯は蜻蛉のような人生であったのです。

【講談】倉吉談語の会


~大江磐代君物語…この母の愛なければ、この母の信念がなければ・・・~

『近代日本を拓いた母の愛』

 倉吉の町娘“りん”と鳥取池田藩の家老荒尾志摩守の家臣“岩室常右衛門”との間に生まれた“つる”は、第119代光格天皇(明治天皇の曽祖父)の御生母“大江磐代”なのです。
  つる女9歳の時、父親とともに京の都へ上り、当時の女性として一流の教養・行儀作法を身につけ、閑院宮家へ奉公。閑院宮典仁親王の目に留まり、後の光格天皇・祐宮師仁親王を生むことになるという、倉吉でなければ聴くことのできない皇室秘話。